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カタカムナへの道しるべ   愛のエネルギーが人を癒し 真実こそが人を救う ウェルネス愛真


今 この時について科学的根拠をふまえスピリチュアルな情報を発信してゆきます  人類にとってかなり厳しい情報もありますが地球の未来は心配ありません!安心して 今 この時をスピリチュアルに生きてください
by wellnessaishin
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カタカムナへの道しるべ  第3章 ココロワクミト 

タマシヒについて考えてみたいと思います

カタカムナの人々がココロをどのように捉えているのかをお話したときに お餅で例えたこと思い出してください
私たちの科学は 目で見える世界から観察を始めて やがて技術開発が進み 目では見ることのできない小さなものを捉え ミクロの世界(主に量子論)を解明してゆきました また 地球を飛び出して宇宙の研究を進めてマクロの世界(主に相対性理論)を解明してきました こうして この世界のすべては小さな素粒子からできていることを突きとめました これが 現代科学のモノを捉えるときの視点です だから 楢崎さんはカタカムナの科学を説明するときに アマ始元量という言葉を造りました ミクロの素粒子をつくっているもっと小さなモノを表す言葉がないと現代科学と共に語ることが難しかったからでしょう カムのカが回ることでアマができて カムにカが無限にたくさんあるように アマには回っているカが無限にたくさんあります この回っているカが この世界のすべてのモノになってゆくというのがカタカムナの科学です ですから 回っているカがアマ始元量ということになります (ちょっと先走りますが、アマ始原量にはヒの段階とフの段階があって ミの段階になるときの違いで様々な素粒子になってゆきます 詳しくはヒフミヨイを解くときにお話します)現代科学的に捉えるときにはアマ始元量という言葉は必要だと思います でも カタカムナの科学はこの現代科学の視点でモノを捉えていません お餅です!!
杵餅がつきあがりました ちゅーっとひとつまみ取り出して丸めると お団子が出来ます 大きいお団子も 小さいお団子も あっという間に出来ます 小さなお餅の粒が集まってできるという捉え方ではありません 全体の中から個が出来て 個の大きさは確定されていません 全体から分離されたひとまとまりですから勿論お餅です つまり お餅としての特質は小さくても大きくても 同じようにもっています この状態を表す言葉がマリです アマから分離しているものをマリといいます というわけで アマとマリは同じ特質をもっていることになります それがマです マとは時空間 トキトコロのマのことです アマから分離したマリは どのようなモノになろうともマはアマのマに準ずることになります 物理で量を捉えるときの基本が時間と空間 すなわちマです ちょっと難しいのですが 存在するには時間と空間が絶対必要です!あなたがそこにいる時間がなければ存在したとはいえないし 時間はあっても空間がなければあなたは存在できない! 物の理を考えるとき 時間と空間 マは必要十分条件なのです 
さて、マリのマはアマのマと同じ特質をもっているので 同じトキトコロ 時空間にあるということになります 
これをふまえて タマを考えてみましょう タマは分離して独立したマです すなわち アマのマに準じるとは限りません 独立して 独自のマをもっている状態がタマです アマに存在していますから アマの時空間にありながら独自の時空間をもっていることになります これが 現代科学の相対性理論で語られる 時間の伸び縮みです 学術的に考えると難しくなりますが 今という時間を長く感じたり 短く感じたりするのは あなたが あなた独自の時空間をもっているからです そうでなければ あなたは時計を必要としません 今何時か時計をみないとわからないのは あなたの時間と外界の時間が違うからです アマに存在して アマの時間の流れの中で過ごしながら あなた独自の時空間をもっているのです なぜならば 人にはタマシヒが宿っているからです 身体はアマの時空間に存在しますが タマシヒが宿っているので タしたマ 独自のマをもっているのです 楽しい時に時間があっという間に過ぎ去るように感じるのも 辛い時 時間の流れを遅く感じるのも タマシヒが宿っているからです 
これが 生命体と物質の違いです 物質はアマのマに準じているので 科学が証明しているように 理論物理学で計算された数値通りの動きをします でも 人は 生命体は 理論通りにはなりません 火事場の馬鹿力を発揮したり 治療薬の効果に差が出るのです 

先ほど少し先走って アマ始元量にはヒの段階があるとお話しました 回り始めたカの回転運動が安定するとヒの段階になります ヒはまだ見えないけれども アマとかかわっています だからヒの図象符には半円ですが円があるのです そして小円の位置はカやアと同じで ここは ものごとの始まりの位置です そう捉えると 存在の始まりの音はヒとなり 5首はヒフミヨイと始まるのです ところが ヒの段階では私たちには見えないのです しかし 見えなくても  アマとは違う時空間をもっていれば その違いから存在が示されることになります 
ヒは そのままでは存在が分かりませんが肉体に宿ることで 存在が明らかになるというわけです 
これが 私のタマシヒという言葉の解釈です  
そして このタマシヒが宿っているがゆえに 生命体特有の負のエントロピーがうまれ ホメオスタシスが維持されるのです

科学の話は難しいと思いますが 今日のところはマリとタマの違いを腑に落としてもらえればと思います

文章で説明するのは 私も大変です 直接お話しできたら 反応をみながら 絵をかいたり 補足説明したりできるのに・・・と思いつつ めげずに 書いてゆこうと思います 


# by wellnessaishin | 2018-08-18 21:23 | カタカムナ

カタカムナのウタヒ 奈良編

カタカムナのウタヒ 奈良編_d0122658_14522132.jpg
初夏の頃 蘇我氏の御霊供養をせよ とお告げがおりました
何の脈絡もないことで 戸惑いながらも 入鹿の首塚を思い出していました
昔から 私にとって大仏様といえば飛鳥寺の飛鳥大仏でした 
そのお顔立ちが好きで 足しげく訪ねていたのです 
その飛鳥寺の近くに入鹿の首塚があるので いつも一緒にお参りしていました
その縁で 今回のお告げとは・・・半信半疑のまま旅の計画をたてると
入鹿神社の存在を知りました
歴史書では入鹿は悪人で中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺されたとあります
大化改新の後入鹿をお祀りし続けることはさぞかし困難なことだったでしょう
蘇我氏は崇仏派で 祖父の馬子は日本最古の本格的仏教寺院 法興寺を飛鳥の地に建てました 蘇我氏の氏寺です 大化改新のあと現在のならまちのあたり場所を移し 名を元興寺と改めました 飛鳥寺が残るのは法興寺のあたり そこに入鹿の首塚が残っているというわけです こんなことを調べながら なぜ今 蘇我氏の御霊供養を私が・・・と思いながらも お参りさせていただくことにしたのです
歴史が時の権力者によって都合よく書き残されることは承知の事実です
大化改新の真実は歴史書には語られていないと考える方が妥当でしょう
ですから 詳しいことはわからないながらも 悪人とされている蘇我氏の御霊供養はするべきだと考えました と同時に 七月初めに出雲の白山神社に案内されてお参りしたことも繋がっていると確信しました 白山神社の菊理媛さまも蘇我氏も大陸由来だからです 9月に高麗神社に招待されていることにもつながってゆくことでしょう
カタカムナのウタヒ 奈良編_d0122658_14563644.jpgこうして 私の奈良の旅は始まりました
台風12号が進行方向を90度変えて
西に向かった7月28日29日のことです
奈良に向かい 元興寺にお参りして
翌日 入鹿神社にお参りしました
夜半過ぎから夜明け前まで
奈良地方は台風の雨風が強かったのですがお参りの朝は 清々しいほどに晴れ渡り空気が清んでいました これは 天のはからい 禊の後の御霊供養 ウタヒをあげると タマユラが現れ 私を包み込んでくれました

カタカムナの教えを生かし コトアゲセヌ国造りをしていた人々は渡来人たちにも心を開き仲良く暮らしていたのだと思います だから 争うことなく受け入れた でも 人が増え 権力がうまれ カタカムナを知らない渡来人たちにはコトダマサキアウ国づくりが理解できなかったのでしょう 蘇我氏の汚名が返上される日が来ることを望みながらウタヒをあげさせていただきました 

さて 今回の旅の計画中に水分神社を見つけました 水分と書いてミクマリと読みます 明日香村をさらに南下すると宇陀市に入ります 以前からこの辺りはよく訪ねていたのですが このあたりに水分神社が点在しているのです  カタカムナ以外でミクマリという言葉に出逢ったのは初めてでした まさか 蘇我氏の御霊供養からカタカムナに繋がるとは・・・そこで水分神社5社巡りをしました

カタカムナのウタヒ 奈良編_d0122658_15361330.jpg
これは 吉野水分神社です
桜の名所吉野山の奥千本のあたりにあります 小さな人里があって 土地の人々が代々お祀りをしてきたことを 人々と神社との歴史を感じられるトコロでした
水分神社はどこもかしこも きれいに掃除がゆきとどき 信仰心の美しさを感じる佇まいでした カタカムナの時代の神社のカタチが残されていると感じられる整った境内です 

吉野水分神社でウタヒをあげると 雲が切れて光が射し込んできました
カタカムナのウタヒ 奈良編_d0122658_15555155.jpgタマユラの光の球体の中は 何とも言えない心地良さでした 子供の頃 光の玉で遊んでいたことを思い出しました  はしゃぐ という言葉通り 私は光の中ではしゃいでいました






この他にも 室生龍穴神社を訪ねましたが ここも整った素敵な神社です
今回の旅は カタカムナの使い手として 御霊供養を務めることが出来たと思っています この タマユラが証ではないかと思うのです 生命カンに従う生き方は 現実的には検証の仕様がなく 思い込みや妄想などと紙一重です だから 慢心しないよう心掛けなければなりません とはいえ 確信が持てぬままでは続きません タマユラが私を励まし 光が労を労ってくれているように思います
そして こんなふうに カタカムナの研究と実践をしてゆきたいと思います




# by wellnessaishin | 2018-08-08 16:16 | カタカムナ

カタカムナへの道しるべ 第3章 ココロワクミト

ココロは身体活動もに精神活動にも関与しているとお話しました
ここから ココロが示す意味を発展させてゆきます

身体活動に関与しているということを拡大解釈してゆくと
存在することそのものがココロに湧いてくるエネルギーによって行われているということです
存在が過去形にならずに 現在進行形であるためには 具体的に
「いた」が「いる」 「あった」が「ある」でありつづけるためには
カムのエネルギーが常に湧いてきていることが必要です
  このように考えてゆくことでタとルの示す意味が分かってきます
  単音の思念をこんなふうに皆さんと考えてゆくトキトコロが
  いつの日か結ばれることを祈っています
ココロに湧いてくるエネルギーによって存在が維持されているモノは生命体だけではありません アマのすべての存在がカムのカが回ることでアマに現れたのです 生物も物質も 共に物という漢字があてられたのは カタカムナの言葉の概念ではすべての存在をモノと表していたからです 
ということは 物質にもココロがあるということになります

ココロのコとは カムのカが回り始めて ヒフミヨイムナヤの段階を経て個として存在が可能になった状態です 回っているので カムからアマにコロンと転がって現れてきます 
カムとアマがつながっている場所(トコロ)
カムとアマの関係がととのっている場所(トコロ)がココロです
とっても小さくて 丸くて コロコロしているココロは
物質では原子核に 生命質では細胞核にあるのです
私たち日本人が 物質にも心があると感じるのは カタカムナのココロという言葉の概念が何となく感覚的に受け継がれているからでしょう
しかし 物質のココロに湧いてくるエネルギーは精神活動はしていません
物質にココロはあっても 心や精神がないからです
心という文字が示すものはカタカムナのココロがもつ意味の一部分なのです

そして ここが生命体と物質の違いということになります
生命体をイキモノといいモノと言い分けています
イキとは何か突き詰めてゆくと 閉鎖系と開放系という生命体の特徴につながってゆきます・・・が今は先にすすみましょう

48首のウタヒにあるように ヤクサスヘしたヒトは精神活動をしています これは 単にココロがあるからできていることではありません ココロがあればできることならば物質もできることになります では 犬や猫はどうでしょうか ヒトに最も近い猿はできているでしょうか あるいは 植物はどうでしょう イルカやクジラを考えると・・・活動レベルに差異はありますが精神活動は行われています 人類が把握できていようがいまいが彼らのやり方でコミュニケーションがとれています その差異を生んでいるものは意識の違いです 
意識には段階があります 第1段階は自己意識 意識できるのは自分です 自分のことはわかります 生まれたばかりの赤ちゃんがお腹がすいたとか おむつが濡れていて気持ち悪いとかわかって泣くレベルです 赤ちゃんは次に 自分の世話をよくしてくれる母親の存在をわかるようになります これが第2段階の他者の存在を意識するレベルです この段階では他者を意識するだけです 次の第3段階に入ると他者の気持ちを思いやるようになります 自分ではない他者の気持ちを推し量るようになるのです 自分が体験していることは勿論 知らないことでも知識を駆使して思いやることが出来るようになります このころになるともう赤ちゃんじゃなくて子供ということになります ここから大人になっても第3段階は続きます 一般人の意識レベルです 他者を思いやるといっても 家族とか身近な人 知人レベルです ここから 「個は全体であり 全体は個である」という意識に目覚めてくると集合意識へと向かいます 
難しいお話になってしまいましたが 生命体はココロから特化した心と共に意識をもって精神活動をしています そしてヤクサスヘしたヒトはかなり高度な精神活動を行えるように成長しました ここに関与しているのがタマシヒです 
一寸の虫にも五分の魂
どんなに小さなイキモノにもタマシヒは宿っています
仏作って魂入れず
物質で仏を作って そこはタマシヒを入れることが出来ますが 
誰でもいつでもできるわけではありません 
こうしてタマシヒが込められた作品には感動しますよね!それは作品に宿ったタマスとあなたのタマシヒビキ合うからです 

さて次回は 精神活動とタマシヒがどんな関係にあるのかを 単音でタマシヒを解いてゆきたいと思います
そして タマシヒとは何かを探ってゆきます




# by wellnessaishin | 2018-07-22 19:56 | カタカムナ

カタカムナへの道しるべ  第3章 ココロワクミト 

ココロに湧いてくる生きてゆくチカラ それはイノチのはたらき 生命力です
カムが関与しているものは 科学では説明できません
カムの存在が肯定されていないので 理論構築できないのです
つまり 科学がうまく説明できないことは カムの手がかりとも言えます☆彡
そして 科学は生命力をうまく説明できていません
実は 自然治癒力もそうです
科学が認めているのは 創傷治癒力や免疫力 つまり科学的根拠のある力です

ガンが消えてしまうことは 医学的には不思議な現象というわけです!

さて 生命力はどんなはたらきをしているのでしょう
生命の活動には 身体活動と精神活動があります
健康という言葉は略語で 本来は「健体康心」といいます
身体が健やかで心が康らかなこと 
すなわち 身体活動と精神活動が良好な状態が健康というわけです
ココロに湧いてくるチカラ それは 万能エネルギー
身体活動も 精神活動も 行っています まさにイノチのはたらき

それでは 身体活動についてみてゆきましょう
受精卵は 脳は勿論、心臓もまだ出来ていないのに卵割して順調に お母さんのおなかの中で赤ちゃんになって この世に生まれてきます 受精の瞬間から死をむかえるまで続いている身体活動です 身体活動に使われるエネルギーはココロに湧くエネルギーだけではありません 食事や呼吸で得られるエネルギーと共に身体を支えます 科学は食事や呼吸で得られるエネルギーについては詳細に解明してくれました アマに存在している私たちはアマからもエネルギーをもらうことができます ココロに湧くカムのエネルギーとアマから得られるエネルギーで私たちは生きているのです そうです!カムとアマのチカラで私たちは生きているのです こう考えると カムとアマが対になって私たちが存在し 私たち存在そのものがのカムとアマの一対と言えるでしょう

精神活動には 大きく分けて思考と感情があります 思考は主に脳の活動ですから 科学が解明してくれたように糖が使われますので 食事や呼吸で得られるアマのエネルギーのはたらきです 感情はココロに湧いてくるものですからカムのエネルギーのハタラキです しかし 精神活動とは 思考と感情が 脳と心が 揺れ動いて 複雑に絡み合うことで行われる活動です どちらかに大きく偏っているときは 人間関係がうまくいってないと思いませんか?精神活動もカムとアマのエネルギーで行われているのです お腹がすきすぎて 何も考えられないことや 泣き叫ぶ氣力もなくなってしまうことがあります また 感情的になりすぎて考えがまとまらないこともあります カムとアマのエネルギーがほどよく整っているときに 精神活動は順調に行われるのでしょう 

  アマのエネルギーは科学が解明できた
  物質レベルのものだけではありません 
  アマにも科学が解明できていない
  見えない非物質のエネルギーがあります
  これを うつしとることが健康法の『アマウツシ』です
  とはいえ お話が複雑になってしまうので
  今日のところは 
  食事や呼吸で得られるアマのエネルギーにとどめておいて
  このお話は もっと学びが進んでからにしましょう

ココロに湧いてくるエネルギーのハタラキの中で感情的な部分が大きく感じられるようになってゆき さらに漢字が登用され『心』と書き表されるようになって いつしかココロのハタラキが心のはたらきに限定されてしまったのでしょう 

ヒトはカムのエネルギーとアマのエネルギーをちょうどよいバランスに整えて生きてゆくイキモノです






# by wellnessaishin | 2018-06-26 23:38 | カタカムナ

カタカムナへの道しるべ  第3章 ココロワクミト 

第3章はココロワクミト カタカムナがココロをどのように捉えているのかをお話してゆきます

コという音が表す物理性は 1個・2個・3個・・・と数えるときの個です
ひとつのまとまりとして 別個になっている状態です
お餅を杵でついてみましょう つきたてのお餅は温かくてやわらかで 美味しいですね  からみ餅でもあんころ餅でも お味のほうはモロモロですが お餅をチュウ~と小さく取り出して 丸くお団子にしてから 好みに合わせて食べます このときの 杵つき餅から 取り出したお団子餅が1個の個の状態です  大きさはまちまちです 大きなお餅を食べたい人も 小さなお餅を食べたい人もいますから 大きさは限定されません  ただ 全体から取り出されるので 相対的にはもとのつきたてのお餅より小さいことになります 
ここで お浚い
カムのカが回ることで現れた世界がアマ
カムにカが無限にたくさん存在しているように
アマにはアマ始元量がたくさん存在していて
森羅万象はアマ始元量が回転運動して変化変遷したもの
この物理に倣って
杵つき餅からひとまとまりになった団子餅は
ヒフミヨイムナヤを経た コ の状態です

全体からひとまとまりになったものなので 小さくなります
また マワリテメクル ことからカタチは丸くなります
丸くて小さいので コロコロ と転がるモノ・・・お団子のイメージです☆彡

私たちの身体は 目があったり 口があったり・・・
手や足があって たくさんのモノからできています
そのひとつひとつが コ です

元をただせば カムが始まり
カムのカが回り続けているからこそ 私たちは存在しています
カムのカが回ることを止めてしまえば 消滅してしまいます
カムのカが回り続けて 存在し続けるためのチカラをおくり続けているのです
まさに おカムさま  
ケが表す物理は変化です カが変化変遷して私たちが存在しているので
おカケさま・・・おかげ様に変遷したのかもしれません!

さて カムから届く 生きてゆくチカラはどこに湧いてくると感じたのでしょうか
元氣・やる気・勇氣・・・
どこということもなく 身体中に 身体全体に 湧いてきませんか

ここにも そこにも あそこにも 
目や口や手や足・・・
身体中の コに コに 丸くて小さいコに湧いてきます
湧いてくるトコロを ココロ と名付けました

ココロのイメージ湧きましたか?

本では 細胞核という言葉を使いました 
確かに 細胞核には現代科学では点のようにしか見えない部位があって
そこは 解明されていませんから カムと繋がっていることでしょう
でも 細胞核という言葉を使わなくても良いように思うのです
誰もが腑に落ちる例えで
子供たちにも伝えられる物理がカタカムナの物理だと思うのです

次回は ココロに湧いてくる 生きてゆくチカラについてお話ししましょう




# by wellnessaishin | 2018-06-12 19:52 | カタカムナ